[フィレンツェ~ローマ③]シエナ~アックアペンデンテ
*XIV. VOYAGE (pp. 92-93)
シエナからは東のルートを取り、ヴァルディキアーナを過ぎると、反対側に海に向かってグロッセートへ行く道が見える。教会領に向けて旅を続けると、ブオンコンヴェントに着く。シエナから15マイルの山の麓にある村で、オンブローネ川に面し、風景はよいが不健康な場所にある。
サン・クイリコまでの道は少し不便で、絶えず上ったり下ったりする。やや荒涼としているが、独特な景色を楽しめる場所がいくつかある。
トッリニエーリからは、道路右手の山上にあるモンタルチーノを見に行くことができる。気候は寒冷だが、大変健康によい。土地はよく耕されていて、非常に澄んだマスカットワインがつくられている。住民は活発かつ勤勉である。
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サン・クイリコは大きな村で、ここからピエンツァとモンテプルチアーノへの道が出ている。ピエンツァはかつてコルティニャーノ*1と呼ばれ、ピウス2世の故郷であった。人口は少なく、シエナから30マイル離れている。モンテプルチアーノは同様に小さく、レディ*2が以下の美しい酒神讃歌で謳ったワインで名高い肥沃な山の上にある。
モンテプルチアーノは全ワインの中の王様だ*3。
昔イエズス会士が丹精を込めて育てていた有名なワイン畑は、今や大部分が放置されている。
サン・クイリコからラディコファーニまで*4の土地は未耕作で人がほとんど住まず、旅はまったくもって不快である*5。道路のこの辺りでよく出くわす小さな水流の中には、モザイクに使えそうな様々な大きさと色の石が見られ、中には瑪瑙もある。
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ラディコファーニは、道路左手、ローマ領の方面にある国境近くの城で、越えるのが非常に困難な高い山の西面に位置する。城壁には大きな石の堆積が見えるが、ことによると昔はそこに火山があったそうである。この地方は頻繁に地震を経験している。ラディコファーニの集落は山頂のやや下にあり、周辺にはすごく冷たい水の湧き出る泉がたくさんある。
ラディコファーニからポンテチェンティーノまでは1駅半の運賃を払う。この駅に到着する前にトスカーナから出る。ポンテチェンティーノまでは急斜面を下っていくので、道の上からは町は暗い崖下にあるように見える。
パーリャ川に架かる美しい橋を渡ると、アックアペンデンテに続く道路は随分と良好になる。アックアペンデンテはかつては集落だったが、今ではあまり重要でない小さな町である。住居のうち最もよいものは新しい建物である。住民は粗野で怠惰である。トスカーナ川の市門の近くにとても綺麗な滝が見られる。
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*1:原文Cortignan。1844年版にはFortignanoとあり、現在の情報ではCorsignanoとある。
*2:17世紀アレッツォ出身の医師・詩人フランチェスコ・レディ(Francesco Redi)。
*3:"Montepulcian che d'ogni vino è il re."
*4:ラ・ポデリーナの地名は現在見当たらないが、中世の巡礼路フランチェジーナ街道上にある村ガッリーナに同名の駅があったという(http://www.valdorciasenese.com/gallina-p-13_vis_1_494.html)。リコルシは冒頭マップから、カンピーリアへの道が分かれ出る地点にあると考えられる。
*5:1826年の旅行記にも、サン・クイリコからローマまではほとんど砂漠のようであると書かれている(Dupré, Relation d'un voyage en Italie, Paris, 1826, p. 268.)。トッリニエーリ(トッレニエーリ)からラディコファーニまでの区間は世界遺産オルチャ渓谷に位置し、特にサン・クイリコ(サン・クイリコ・ドルチャ)、ピエンツァ周辺は絶景スポットとして有名である。