[フィレンツェ~ローマ①]フィレンツェ~シエナ
*XIV. VOYAGE (pp. 89-90)
フィレンツェからシエナまでの道は山がちだが、谷やブドウ畑とオリーブ畑に覆われた丘の眺めが途切れなく続き、旅人の目には快いものである。
スコペッティ通りを登ると、やや先の左手にフィレンツェ人から多大な崇敬を受けているインプルネータの聖母の聖所が見える。肥沃でよく耕された丘の頂上ある大きな集落、サン・カッシアーノを通る。
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ペーザ川の新しい橋の手前のところで、川を右側にして前方にサンブーカ通りまたはカステッリーナ・ディ・キャンティ通りがある。これがシエナに向かう最短の道である。同じ地点からかつてヴァロンブローザ*1の修道士たちの修道院で、よい絵が見られるパッシニャーノに行くことができる。
フィレンツェからシエナの中間地点、タヴァルネッレを過ぎたところで、右手に小さな城バルベリーノ・ディ・ヴァルデルサがある。ポッジボンシに入る前、右手にピサまで直通の郵便馬車ルートがある。
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ポッジボンシは人口の多い大きな集落で、丘の麓にある。住民は工業と製造業に従事している。ローマ街道*2から右に約3マイルのところに、非常に高い丘の上にコッレの町がある。町は高い地区と低い地区に分かれている。高い地区の方が住民も耕地も多い。[続いてコッレから行けるマッサとヴォルテッラに触れる―中略]
ポッジボンシからシエナまでの間、左手にワインで有名な、広大で起伏の多いキャンティ地方を通り過ぎる。
シエナから約6マイルの地点*3で道は快適さを減ずるものの、驚きをくれる場所がいくつもある。山を下り始める辺りで目の前に開ける眺望は極めて美しく、真にピクチャレスクである*4。
*1:フィレンツェの南東にある11世紀創建のベネティクト派修道院。
*3:モンテリッジョーニ辺りか。冒頭地図にCeppoと見えることから、イル・チェッポを通る現州道カッシア・ノルド通りかと思われる。カスティリヨンチェッロの地名は現在見当たらないが、スタッジャとモンテリッジョーニの間という立地からカッシア・ノルド通り沿いのカステッリーナ・スカロかと思われる。当時カスティリヨンチェッロには宿駅の建物が1軒あるのみであった(Ducos, Itinéraire et souvenirs d'un voyage en Italie en 1819 et 1820, T. 4, Paris, 1829, p. 150.)。
*4:また、上記でフィレンツェ~シエナ間の最短ルートとして紹介されているサンブーカとカステッリーナ・イン・キャンティを通る道は現州道キャンティジャーナ線で、風光明媚なドライブルートとして知られている。